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床屋の歴史

床屋の歴史の画像

床屋の発祥の地は、山口県であるのだそうで、下関には床屋発祥の地と刻まれた記念碑が建てられています。

時は鎌倉時代、当時の天皇御所の警備責任者として守護職に就いていた藤原基晴は、宝刀を管理することが仕事でしたが、その宝刀を紛失するという失態を犯し、責任をとるため、また紛失してしまった宝刀を探し出すために守護職を退いて、息子を連れ、下関にやってきたところから始まります。

紛失した宝刀を探す先がどうして下関だったのかというと、鎌倉時代は蒙古襲来の時代であり、大勢の武士たちが戦のために九州と本州とを行き来するため、その間となる下関ではたくさんの武士と接することができたためです。

武士に怪しまれずに接して、その中から宝刀を探し出すため、藤原基晴が目を付けたのが髪結いの技術で、下関の技術者から教えを受け、床屋を開店して、多くの武士と接することとなったのです。

その後、床屋となった藤原基晴と紛失した宝刀はどうなったのかというと、藤原基晴の死後、同じく床屋の仕事を受け継いでいた息子が無事に見つけて鎌倉幕府に返還したのだそうです。

藤原基晴の息子は、その後、床屋として鎌倉で新たに開店し、幕府からの覚えもめでたい立場となり、下関で磨いてきた技術を子孫共々、江戸の町に広めていくことになったのです。

江戸時代に入ってしばらくすると、床屋の技術を身に着けて、開店する人の数も増えていきました。

江戸時代の男性は、現代から想像すると意外かもしれませんが、かなりおしゃれであり、床屋ではただ髪を切ったり、髭を剃ったりするだけではなく、髪をきれいに結ったり、眉を剃って整えたり、しっかりと耳掃除まで行っていました。

ですから、1回の床屋の滞在時間はわりと長く、床屋の店主だけではなく、床屋の客も交えて、社交場所となっていたのです。

時代が江戸から明治に移り変わって、チョンマゲを落とす人が増え始めると、床屋はさらに繁盛し、洋風のヘアスタイルを希望する人も急増していったのです。

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